師匠のお見送りをしました。

師匠の葬儀に参列させてもらいました。

自分が19歳で入社して29歳で独立するまでの足掛け10年間

常木造園 という会社でお世話になりました。

プロフィールページでも書いていますが

常木さんは昔気質の職人気質だったので

ほぼ何かを教えてもらった記憶はなく、

自分で考えて動くと「そうじゃない!!」

って怒鳴られる毎日でした。

いや、じゃあ教えてよ、、そのほうが何倍も親切だし効率的。。

って思っていましたが昔人のポリシーですかね。

「中島さんはよく常木さん所で続くね!すごいね!」

となぜか自分の株が上がる謎の現象がよくありました。

それにしても「今日は何をする?あなたは何を担当する?」

っていう所から教えてくれないので

毎日なぞなぞです。

聞くと怒るし怒鳴るし、怒鳴ってて何言ってるかわからないし

そんな感じでよく会社として機能してたなと感心しますが、

それは常木さんが人の何倍も努力するからで

不思議と恨んだり憎んだりという感情はなく

どうにかついて行く事ができて良かったとなぜか思わせる不思議な存在でした。

自分から見ると、顔をみても遺影をみても正露丸のような苦い薬のような

食べずらいけど、食べないとな~という印象で

思い出すとどれもセロリのようなにがい思い出ですが、

なぜか「楽しかったなぁ、、」と本当に思います。

が自分の社員にそうしようとは1ミリも思いません( ´∀` )

100歳まで生きそうだったけど、思ったより早く逝ってしまったので

ちょっと肩透かしみたいな感じです。

でも寂しさや悲しさはあまり無く、

「厳しいヘンクツで変わった担任の先生が転勤した」くらいの感じです。

実際、魂や思いは今も庭仕事をしていると思うので転勤でほぼ合ってると思います。

なので「あとのコッチの事は自分がなんとかやっていきます。(`・ω・´)ゞ」

と思わせてくれます。

自分も現在は常木さんに負けないくらい仕事をしていますが

昔の人の仕事にかける鬼気迫る本気さ、真剣さ、

というのはマネできるものではないです。

ですが常木敏雄という「風」から派生した

自分や他の「風」は

これからも形を変えて次に次にと繋がり

広がっていくものと思います。

その一助になれれば幸いです。

いままでありがとうございました。

            中島真治郎