作為がない事が大事

最近、作業をしていて

庭工事でも剪定作業でも

結果の商品、サービスに

「作為がない事」に進んでいく感じがします。

褒められたい とか

喜ばれたい とか

あとから色々言われたくない とか

そう考える事から徐々に離れて行っているように感じます。

庭工事で言えば

スゴイ手が掛かっている作為がある庭を見る事がありますが

高級車に乗ってる人と同じで

「凄い」と一瞬思うけどそれ以上に何かを感じる事はあまり無いですが

(自分が欲が薄めなので)

作為のない風情のある庭を見ると自分の中の風景が想起され

作った人に惹かれます。

剪定作業で言えば

出来上がりや仕上がりを丁寧にするのは作為があり

その一瞬がマックスによい状態です。

それはそれで素晴らしいけど

3か月後、1年後、5年後によい状態にする切り方は違います。

仕上がりだけ綺麗にする剪定は

そのしわ寄せは年々積み重なったり、後になって見た目や維持管理上、不都合が出てきます。

自分がいいカッコしたい、綺麗に見せたい、

「仕事した感じ」にしたい、自分的に納得したい

それも悪くないけど

そこにコストと時間を掛けるのは施主さんにとって本当に得なのか?

自分の事しか考えてないか?

という観点から掘っていくと

拘りから離れて違うものが見えてきます。

周りを気にしたスタイルではなく

本当に大事な部分はコレだろ。という自分らしいスタンスが決まります。

自分もなるべく説明はしますけど、詳細までは自分のやり方の意味や結果を説明しないし

説明しても理解は難しいだろうし

信用できないようでしたら断って頂いて大丈夫です。

先の事まで考えてやってるので

ヘタに見えてもそういわれても全然平気です。

後ろめたい事は1個もないです。

コレが全部です。至らなかったらすいません。

って言う傾向が最近強くなってきました。

施主さんの意向や趣向もお話をして庭や家を見れば解ります。

そこに集中するとこの施主さんにとって何が大事か

何が大事じゃないか見えてきます。

そうするとやるべき事と

やらない方がいい事がみえてきます。