法とルール

法務局の前の信号で止まった時に ぼんやり 法務局を眺めていて思った。


法というと


国の法律や 宗教が思い浮かぶ


さんずいに去ると書いて法


自然の摂理 で水が上から下に流れる様を表してるらしい


道理や 当たり前に決まったこと という意味


自然の中には、人間に対する


ルールや決まりはそもそも存在していなかった。


人が決めたルール。


たとえば土地に線を引き 所有者を決め 税金を徴収し


または働いて得たお金の何%かは税金として納めましょう というルール


みんなが 管理 徴収されることで国という概念が 固定化されている。


また同じ言語を話す同族意識 からも日本人という概念が強化されている。


何もないところに何かを概念的に作る方法。


ルールや言葉、 共通 了解 、共通目標


ただ


そもそも何も無かった という事を忘れない事が

個人を尊重するためには大事で、


法という概念を強化する事は


全体思考的で 盲目的で 自己犠牲のベクトルを含むので


あくまで2次的に大事な気がする。


何を決められ 何をさせられているのか


どういう概念やルールに自分が縛られ そう思わされているのか


安心と引き換えに何を失ったのか


自分とは何なのか


それは自分が決めるべきではなかったのか


しかし 学習し経験する中でそういうプログラムが書き込まれれば それから逃れる


あるいは情報を選別するのは限りなく 難しい。


迎合することで不安を取り除き


一方で自分を失うことは往々にしてあると思う


実際 その不安と思っていたことは起きない事が多く、起きる時まで

ただの思い込みや情報であるというのは知っておかないといけない。


自分という実態がないものが


法という実態がない概念に縛られているのはなんだか面白い。


だったら まあ何でもいいかと


目の前の大切なものを守るのみです。